発達障害の診断経緯 その3 成人発達障害専門クリニックへ
さて、いよいよ都心のクリニックでの診察。
先生は発達障害当事者という話だったけれども、
一見そうは見えず、感じの良い人でした。
診断を受けたい旨を話すと、
「ご自分の特性を知って、より良く生きていきたいってことですよね」
とわかってくれました。話が早い。最初のクリニックの先生とは大違い。
やはり相手も当事者だとすんなり理解してくれます。
ところで、この先生、現在では社会に適応している場合には
発達障害の診断は下していないようです。
DSM-5に沿った方針なのかもしれませんが、
そのせいか、今はご自身も当事者であることを公言していないようです。
この先生の1冊目の著者ではご自身の経験についても少し書かれていて、
クリニックを立ち上げた際の話など、興味深いものでした。
このクリニックではほかに受付担当者と臨床心理士がいるのですが、
そちらで起きた問題はそちらで片づけてほしい、
もし自分に相談する場合は判断に口を挟まないでほしい、
という取り決めを事前にしたそうです。
確かに、発達障害者が仕事に集中するためには、
人間関係のごたごたはできるだけ避けたいところ。
定型発達の人でもそうだとは思いますが、
発達障害者の場合は、手のかかる作業を延々と一人でやらされるよりも
人間関係の問題を解決する方が不得手だし、
エネルギーを激しく消耗します。
こういう話は当事者にもとても参考になると思うのだけれど、
医師が発達障害というのはやっぱり外聞が悪いのかもしれません。
まあ、世間の目はそんなものだから、
気持ちはわからなくないでもないですが。
ただ、よくよく考えてみると変な話です。
二次障害がなく社会に適応している場合には診断を下さないというのは、
逆に言えば、発達障害の診断を下すには、
二次障害のあることが前提となります。
ということは、発達障害というのは、
二次障害が出るほど立ち行かなくなって初めて診断が下り、
支援が受けられる、ということになります。
つまり、二次障害が出ない限り、
重度であっても支援は受けられないということです。
(まあ、診断が下りても大した支援は受けられないのでしょうけど。)
言ってみれば、ちょっと足が不自由だけれども歩けるんでしょ、
と言われて皆と一緒にフルマラソンやらされているようなものです。
車いすに乗ったり、杖や義足を使ったりしている人もいるのに。
がんばりにがんばって何とかやってきた人ほど、
壊れるまで、そのままさらにがんばり続けなくてはいけなくなる。
でも、支援がなかったおかげで強くならざるを得ず、
その意味では幸運だったと考えることもできるかもしれませんが
その強さもなく、支えてくれる人が身近に誰もいなければ、
その途上で人生をあきらめてしまう人も少なからずいるのだろうと思います。
人生の早いうちに自分の特性について知り、対策を立てられれば、
そうしたことも防げるかもしれないのに。
ともかく、そのクリニックに今診断を求めに行っていたら
現行のDSM-5の自閉スペクトラム症という診断名は出なかったのかも
しれないと知って、私はさっさとアスペルガーの診断名を
もらっておいてよかったと思いました。
そうでなければ、診断が下るほどではないのに、
自分は何でこうなのかと延々と悩み続けていただろうと思います。
(続く)