それでも雨が降るときは

ホリスティックに発達障害とつきあう

診断後 その2 診断を受け入れる

私が発達障害という診断をすんなりと受け入れられたのは、

当時、身体障害者の介護をしていたのが大きかったかもしれません。

 

二十代のころ、貧乏暮らしをしながらアルバイトでお金を貯めて

日本と海外を行ったり来たりしていましたが、

三十代になって持病が悪化し、まともに手に職をつけなくては先がない

と思うようになりました。

 

それで、たまたま興味をもった翻訳を通信講座で勉強し始めたのですが、

勉強の時間とお金を確保するため、時給の良かった、電話での為替商品のセールス

の仕事を始めました(その頃は、パソコンもろくに使えなかったので)。

当然、セールスの仕事なんて向いているわけもなく、

外貨取引もまったく興味ありません。

そんなわけで、ストレスのせいか、5ヵ月経ったある日、

吐き気がするほどの頭痛に襲われ、辞めてしまいました。

私は結構、根性はある方だと思うのですが、

どれほどストレスになっているか気づかないので、

どうも身体が先にダウンしてしまうようです。

 

それで、次に見つけた仕事が、一人暮らしをする身体障害者の介護。

これは、二十代のころに短期間、月に2回ほどやっていたことがあり、

そのころの利用者さんたちがいい人たちばかりで、いい印象があったからです。

電話のセールスの仕事で嫌気がさして、金儲けとかではなく、

何かもうちょっと、真剣に生きている人たちのそばにいたくなった

というのもあります。

 

夜勤も含めて(仮眠ができたので、ほとんど起こされずにぐっすり

眠れるときもありました)、週に4日ほど働いて、夜勤手当がついたので

20万ちょっともらっていたと思います。職員でなくても有給もついたし、

いい事業所でした。

 

最初に研修を受けたときに、「人はそれぞれ違う」というようなことを

教えられたんですが、何でそんな当たり前のことをわざわざ言うのか

まったくわかりませんでした。

でも、定型発達者には、そのことはわざわざ説明しないと意識できない

のかもしれないと、今ではわかります。

 

その仕事をしていて自分で不思議だったのは、

介護者だけの集まりに行くと、落ち着かず、どうも馴染めなかったのに、

障害者の中に混じっているとなぜかしっくりくる、ということでした。

今思えば、世の中とのずれ具合が近かったからなのだと思います。

 

実際に現場に入ってみると、昔やったときとは違って、

「障害者=純粋で心がきれい」という図式は必ずしも当てはまらない

ということがわかりました。

ひと言で障害者と言っても千差万別なので、考えてみれば当たり前です。

健常者が千差万別なのと一緒です。

施設で長い時間を過ごして世間ずれしていなければ純粋に見えるけれど、

世の中で暮らしていくには、そのままではいられない。

もちろん、中途障害の人もいるわけだし。

 

2年にわたって「障害者」と呼ばれる人たちと付き合ううちに、

障害があるというのは大変だけれど、それ以外は同じ人間として何ら変わりなく、

悩みも欲望も同じように普通にあって、健常者と比べて「劣っている」

わけでもなんでもないし、憐れむべき対象でもないということに気づきました。

 

そんなわけで、その「障害」が自分にあるとわかったときにも、

それまでの人生の謎がそれで解けたことにはショックを受けましたが、

障害があると言われたことはすんなりと受け入れられたのです。

 

結局、やはり介護の仕事は体力的にきつかったのと、まとまった休みが

取れないこともあって辞めましたが、そのときに、ひと回り以上年上の

女性ケアマネに診断の話をしたところ、あっさりと、

「そうね、私も障害があるって言われても、すんなり受け入れられるかも」

と言ってくれました。

 

ところが、辞めてしばらく経ったある日、ある職員から電話がかかってきました。

私が発達障害の診断を受けたことを聞いて、話を聞きたいというのです。

どうやら、介護者を募集して面接を受けに来た人のなかに

それっぽい人がいたようです。

 

それで、診断の経緯を話しましたが、返ってきた反応は「わ~、それはショック」。

彼が何をもって「ショック」と言ったのかはわかりませんが、

「ショック」と言われたことにこちらがショックを受けました。

 

障害者に普段から接している障害者の自立支援団体の職員であっても、

ショックなことのようです。

支援する側として障害者に接している分にはいいけれど、

自分や周りの人間が突然障害者になるというのは、

やはりそういう人たちでもすんなり受け入れられるものではないんですね。

 

(続く)