それでも雨が降るときは

ホリスティックに発達障害とつきあう

自分を外人だと思えばラク

よく自分のことを宇宙人にたとえる発達障害者がいますが、

私も昔はそんなふうに思っていました。

特に家族は私のことを宇宙人みたいに思っていたかもしれません。

 

でも今は、ずれ具合は「外人」くらいになったと思います。

宇宙人だと、地球人は怖がり、警戒します。

外人でも怖がる人はいるけれど、まだ少しは受け入れてもらえる。

 

逆を言えば、私が日本社会に少しは馴染めるようになったのは、

海外に行くようになってからなんです。

つまり、世界には日本人とは違う価値観があるということを肌身をもって

知ったことで、日本社会と自分のずれ具合を単なる「異文化」として

受け入れられるようになったんですね。

 

私は子どもの頃、とてもおとなしくて、いてもいなくても

気づかれないような子どもでした。

典型的な受動型のアスペルガーだったので、

傍から見れば友だちがいるようには見えましたが。

 

それが、中学生になってクラス中の女子に仲間外れにされたことで

ガラリと考えが変わります。

誰も知っている人がいないような遠い高校に進学し、

ロックに夢中になり始め、それからは別人です。

思春期ということもあり、かなり尖った人間になり始めました。

逆に、普通であることをバカにするようになったのです。

 

あるとき、バンド仲間に誘われて、タイに旅行に行きました。

それまでは海外なんてまったく興味がなかったのに

(海外旅行=パッケージツアーだと思っていたので)、

行ってみるとそれまでに知らなかった世界が目の前にあって新鮮でした。

 

それを機に、私はまともに就職せず、フリーターとして数々の仕事をしながら

お金を貯めては海外に行っていました。

そのうちに、某国の音楽にはまり、貧乏暮らしをしながらお金を貯めては

音楽修業に通うという日々が続きました。

物価の安い国だったので、当時は月2万円くらいで生活できたのです。

 

そうこうしているうちに30代になり、2年半ぶりに帰国して

ほとんど浦島太郎状態でしたが、お金が底を尽きていたので

すぐにでも働かなければなりません。

 

その頃はPCスキルがまったくなかったので、

1年働いてお金を貯めてまた行くつもりで、とりあえず工場で働き始めました。

元々世間とズレているうえに、日本は2年半ぶりという浦島太郎です。

周りと話が合うはずがありません。

 

でも、日本が久しぶりすぎだったので、気がついたら外人が見るような感じで

日本人を見ていたんですね。

 

たとえば、海外に行くと、へえ、この国ではこういうのが流行ってるんだ、とか

この国の人ってこういうことろあるよね、とか、自然と客観的に見ることができます。

その習慣に対して、この国ではそういうものなんだ、とただ受け止めて、

あまり良し悪しをつけることはしないような気がします

(好き嫌いはあるとしても)。

 

長いあいだ海外で時を過ごした後では、そんなふうに日本社会と自分との違いを

受け止めることができるようになりました。

まったく興味がなかった流行りものも、以前はアホかと思っていたのが、

そういうのが流行ってるのね、面白いなー

(その流行りもの自体が面白いということではなくて、

そういうのが流行っているということが)と思えるようになりました。

 

だから、発達障害のある人は、機会があれば、一度海外に行ってみるといいですよ。

まあ、アスペ傾向の強い人は慣れない場所には

あまり行きたがらないかもしれませんが。

違った視点を養うという意味では役に立つかもしれません。