それでも雨が降るときは

ホリスティックに発達障害とつきあう

父の日に思ったこと

毒親」という言葉を最近よく耳にします。

私は母はとうの昔に亡くなっているし、

父へのわだかまりもずいぶん前になくなったので、

他人事のように思っていました。

それでも周囲には親に対するわだかまりを未だに引きずっている人が

少なくないので、気にはなっていたのです。

 

先日、『女子の人間関係』の著者である水島広子さんの

『「毒親」の正体』という本が出たので読んでみたところ、

いわゆる「毒親」の中には発達障害と思われる人が少なくないとのことでした。

その場合、親には悪気はなく、変わることを期待するのは難しいとのこと。

 

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「毒親」の正体 ――精神科医の診察室から *3

 

 

 思い返せば、私も父のことを許せるようになったのは、

自分が発達障害であり、発達障害が遺伝によって受け継がれることが多い

ということを知ってからでした。

 

私の両親は喧嘩というものをほとんどしませんでした。

仲が良くて喧嘩をしなかったというのではなく、

夫婦間で問題が起きると、喧嘩をするわけでもなく

(見えないところでしていたのかもしれませんが)、

母はハンストを起こして一日部屋に閉じこもりっぱなし。

父は話し合おうとするわけでもなく、近所に碁を打ちに逃げ、

子どもたちだけでご飯を作って「お父さん、ご飯できたよ」と呼びに行く。

次の日には母も仕方なく部屋から出てくる。

そんなことが何度かありました。

 

母が病気になったときも、父は言葉で愛情を示すということができない人だったので、

温かい言葉をかけることもできず、その代わりにしたことといえば、

台所をリフォームするというもの。

無駄の大嫌いだった母が、そんなことをしたら二度と口をきかない、

と言ったにもかかわらず、父はリフォームしてしまい、

母は本当に口をきかなくなり、その後まもなく亡くなりました。

長年連れ添った夫婦がそんな別れ方をするなんて、

娘としてはかなりショックでした。

 

そんなわけで、昭和ひとケタ生まれの男性としては珍しくないんでしょうけど、

父はお金を与えることで家族に対する責任を果たしていると思っていたようでした。

そんな父親に高校生のころから反発を覚えて、長いあいだ嫌ってきましたが、

発達障害という視点をもって父のことを考えると、

まったく違って見えるようになったのです。

一応、社会では立派にやっていたとしても、ごく軽度でも発達障害があったとしたら、

一家を養うというのは楽なことではなかっただろうし、

子どもの人生に興味をもたないのも致し方ないことなのではないかと。

 

父には「お前はうんとお利口だったらよかったのに」だとか

(うんと頭がいいわけでなければ、

中途半端に小利口なのは女として可愛げがないだけ)

「一度くらいはお嫁に行けば。離婚すればいいんだし」

(行き遅れより出戻りの方がよい。娘の幸せより世間体)だとか言われてましたね。

なるほど、この本によれば、こういうのも「毒親」に当たるんだそうです。

 

一時期は、私がまともに定職ももたずにフラフラしていたのを

私が「おかしく」なったのは、自分が子どもの頃にかまってやらなかったから

だと思っていたようでした。

私は「おかしく」なんかないし、そう思われるのも癪だった。

 

発達障害というものを知って、そんなわだかまりも消えていったある日のこと。

つい数年前のことだったと思いますが、何の連絡もなしに父が突然

私の家を訪ねてきたことがありました。

 

やっと仕事をひと段落して、遅い昼食のために炒め物をしようとしていたときのこと。

「今駅にいるんだけど」と電話がかかってきました。

お腹がすきすぎてイライラ最高潮だった私は

「なんだって突然来るのよ!家にいたからいいようなものの、

遠い所まで来て留守だったらどうすんの!」と思わず怒鳴ってしまいました

(予定外のことに対処するのが苦手というアスペ特有の事情も)。

 

仕方なく迎えに行きましたが、実家を出てから二十数年来、

父が私を訪ねてきたのは初めてのことでした。

うちでお茶をしているときに父がポツリと言いました。

「これでお前のうちにも来たし、思い残すことなく死ねるな」

 

あとになって思い出しましたが、二十代の頃、喧嘩をしたときに

言ったことがあったのです。

「子どものことなんてちっとも興味ないじゃない!

私のところだって一度も来たことないくせに!」って。

もう二十年も前の話だというのに、ずっと心の中にあったんだなと思うと、

ちょっと切なくなりました。

 

父とはお互いアスペルガー同士(と勝手に決めている)。

普段は相手の存在をほとんど忘れているし、

年に1度しか会わないクールな親子関係です。

再婚相手がいるので、心配する必要もありません。

父が母とは違う別の女性と暮らしているというのは何とも不思議なものでしたが、

今では父にそうして家族がいて、幸せ(かどうかは知りませんが)で

いてくれているのにホッとしている自分もいます。

父が私に対して負い目を感じていたように、私もまた父に対して

自分が普通の生き方をせず、結婚もせず、子どもももたずにいることに

負い目を感じていたのかもしれません。

 

この本の中では親との問題を引きずっている人は反抗期を体験していない

ことが多いとあります。

そういえば私は、反抗しまくってましたっけ。

15年くらいは続いた、長い長い反抗期でした。

あれがあったおかげで、今こうして私は親を恨まずにいられるのでしょう。