それでも雨が降るときは

ホリスティックに発達障害とつきあう

発達障害をめぐる10年後の状況

私が発達障害の診断を受けてからもうすぐ14年が経とうとしています。

その間に発達障害をめぐる状況も大きく変わりました。

おそらく発達障害という言葉を聞いたことがない人はほとんどいないほどに

社会的にも周知されるようになり、発達障害者支援法もでき、

診断基準もDSM-IVからDSM-5に変わりました。

 

その14年のうち、ほぼ10年近くは、私は発達障害をめぐる状況を

遠巻きに見ていただけでした。

ほかの当事者との交流に失敗し、さまざまな自己治療を試みつつも

アスペルガーであることを忘れたふりをして生きながら、

たまに人間関係の大きな落とし穴につまづいて、そのことに気づかされる、

ということを繰り返していました。

そうこうしているうちに、血糖調節異常や栄養の問題が発達障害者には多い

ということを知り、試したみたところ、驚くほど楽になったのです。

私の診断経緯やその後については、以下をご覧ください。



 

最近になって、過剰診断を危惧する本も多くみられるようになってきました。

そのうちの何冊かを読んでみましたが、確かに同意できるところも

あるにはあるのですが、その大前提として、「障害は恥ずべきもの」という

考えがあるような気がしてなりません。

だから、グレーゾーン程度の問題をわざわざ「障害」というべきなのか

という議論が出てくるのです。

 

確かに、発達障害が改善できないものであり、告知をすることで

当事者が絶望的になるだけだとしたら診断は害でしかありませんが、

自分の特性を知り(これは発達障害という枠組みを通さないとわからない部分も

多いのです)、それを踏まえて人生をよりよいものにしていけるのだとしたら、

「個性ですよ」で済ませてしまうことは、

そうした機会を奪うことにもなりかねません。

「個性」で納得できるくらい、周囲の理解があり、自己肯定感が高ければ、

そもそも診断なんか求めてくるはずがないのです。

 

ところで、私の場合に生きづらさの大きな改善のきっかけになったのは

糖質制限と栄養療法でしたが、それについて言及している精神科医

ごくわずかです。

これらに関する本はほとんどが他の分野の医師などによって書かれています。

 

低血糖症と精神疾患治療の手引―心身を損なう血糖やホルモンの異常等の栄養医学的治療 (第5版)

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発達障害の治療の試み-検査を基にした分子整合栄養医学による内科的治療

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デトックスで治す自閉症

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発達障害を治す (幻冬舎新書)

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発達障害の子どもが変わる食事 (青春新書INTELLIGENCE)

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こうした療法はエビデンスが出ていないだとか言われて日本では一般に

認められていません。

でも、昨年の某テレビ局の発達障害プロジェクトで「最近の研究で発達障害者には

感覚過敏の問題があることがわかりました」と言っていましたが、

感覚過敏はもう10年以上も前に一部ではわかっていたことです

(何を今さら、と思った人も多かったはず)。

それを考えると、今はまったく相手にされていない血糖調節異常や栄養の問題も

10年後には周知されるようになっているかもしれないのです。

 

現在の発達障害をめぐる状況は、ひと昔前のがん治療をめぐる状況に似ていると

どこかで読んだことがあります。

がんも不治の病だと思われていたのが、今では生存率も高くなりました。

 

私は以前、FDA(米国食品医薬品局)などにアップされる 

がん関連の情報を翻訳するサイト

翻訳ボランティアをしていたことがありますが、

がん患者やその家族も必死で、最新の知見を知ろうと努力しています。

日本では医師の言うことは絶対で、患者は素直に従う傾向がありますが、

アメリカでは患者は医師の言うなりではなく、自分でも勉強するようです。

発達障害者とその家族も、日本で現在一般的に知られている情報がすべてだと

信じ込むのではなく、もっと希望をもってほしいと思います。

発達障害という概念が日本に入ってきたのがずいぶん遅かったように、

現在日本で一般的な情報も海外の現状に比べたら遅れているということです。

 

10年後は無理でも、20年後には、非定型発達に該当する人が実はかなりいる、

ということがはっきりするのではないかと思っています。

今はグレーゾーンの問題も含めて、その過渡期なのかもしれません。

「障害」ということの受け止め方も含め、

考える必要があるのではないでしょうか。

 

パラリンピックだのアール・ブリュット

(そもそも障害者の芸術を指すものではないようだけれど、

日本ではなぜかそのニュアンスが強くなっている)だのと言っても

身近なところで「障害」ということを口にされると距離を置きたくなる、

という人が実際にはほとんどではないでしょうか。

 

「障害」ということが、人生の改善につながるはずの自分の問題を受け入れること

の妨げになるのだとしたら、「性同一性障害」という名称が「性別違和」に

変わったように、「発達障害」も「非定型発達」と言い換えれば、

診断に伴う絶望感というのも軽減するのではないかという気もします。

 

どちらにしても、現在テレビなどで流れているような情報がすべてと思い込んで

絶望的になって社会の理解だけを願うのではなく、

少しでも取り組めることがあれば、取り組んでいくことが大切です。

だって、その間にも時間は過ぎていくんですから。

診断名というのはその努力の方向性を与えてくれるはずのものです。