それでも雨が降るときは

ホリスティックに発達障害とつきあう

10年というスパン

ちょっとしたきっかけで数年前から10年日記というのをつけています。

1ページが1日分で10年分書けるように10分割されています。

スペースはわずかなので、大したことは書けません。

何をしただとか、備忘録的に使っていますが、

長期記憶の弱い私には重宝する代物です。

 

毎日書くついでに、過ぎた年の同じ日付に何をしたかをチラッと見ると、

大して代わり映えのない一日だったり、

同じようなことで悩んでいたり、

ときには、まったく覚えていない映画の名前が書かれていたりして

(こういう記憶の抜けがたまに起こる)怖くなることもありますが、

何年も変わらない毎日を送っているようで、

少しずつは前に進んでいるような気もします。

 

数年前の同じ日には親しくしていた人がすっかり疎遠になってしまったり、

楽しみにしていたことが楽しみでなくなったりと、

10年というスパンで人生を見ると、いろいろあるんだなと思います。

本当に、先のことなんてわからない。

 

数年前には、生きるのがしんどくて、何とか毎日を乗り越えるために

「よかったこと」「悪かったこと」「明日の目標」を一つずつ

書いていたことがありました。

 

しんどくても何かしら良いことを見つける訓練にもなったし、

最悪なように思える毎日でも、実際に起きた悪いことを一つ

書き出そうとすると実は何も大して悪いことは起きていなくて、

単に気分的な問題だということにも気づきました。

「目標」は一つにして、何でもいいからやってみて

達成感を得ようとしていたのだと思います。

 

10年というスパンで物事を考えるのは私には程よいようです。

「今日が人生最後の日だと思って生きよう」なんて潔いことは私には無理。

そんなこと思っちゃったらまず仕事なんてしないだろうし。

1、2年くらいでも、したいことしかしなくなっちゃうでしょうね。

 

人生あと10年、と考えると、10年先を見据えてそこそこ頑張ろうと思えるし、

あまりにも先のことを考えて気が遠くなったりもしない。

仮に自分の寿命が100歳までだと思っちゃったら、

怠け者の私は、まだまだ時間があるからいいやと怠けだすに違いありません。

 

そうやって、あと10年、というのを毎年更新していけばいいのかなとも思います。

人によっては、あと10年生きると考えるだけでもしんどい、

という人もいるかもしれません。

そういうときは、自分のペースであと〇年がんばろうというのを

毎年更新していくという考えもありではないでしょうかね。

 

私は母親が60手前で亡くなっているので、そのくらいまで生きられれば万々歳、

と昔から思っていたけれど、気がつけばあと10年ほどになってしまった。

人生あっという間です。

もちろん、そこまで生きられない可能性だってあるわけで。

悲観的になっているわけではなくて、現実的な話です。

 

さて、仮に残り10年だとしたら、何ができるか、何をするのか。

そろそろまたひとつ歳をとる時期が近付いてきて、

そんなことを考える今日この頃です。

 

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しつこいようですけど、拙訳書の宣伝です。(しばらく続きます)

 

 内容はこちらを。

manakawase.hatenablog.com