それでも雨が降るときは

ホリスティックに発達障害とつきあう

天才とは

天才と発達障害の関連性は指摘されているけれども、

天才というのはごくごく一部に過ぎないし、

「天才=発達障害」というわけでは必ずしもないのだと思います。

 

誰しも何かしらの才能はあっても、天才というのはやはり違うのだと

先日、久々に天才を知ってあらためて思いました。

 

天才というのは、己の天分を早々に見極めて、

その道を究めることに何の迷いもない人のことなのかなと。

  

そのまますくすくと、天賦の才を発揮していってほしいものです。

単に上手いだけじゃなくて心底から情熱が感じられるのは素晴らしいですね。

小手先の音楽はいくら上手くてもつまらないから。

 

迷いに迷って、20年以上取り組んでも大してものにもならなかった

身としては、羨ましい限りですが。

 

ちなみに私は、人格者(というのは非常に稀有なのだと後に人生で知った)だった

最初の師匠が早くに亡くなってから何人かの奏者のもとに行きましたが、

才能ある子を紹介したら「君は女性だから同じには扱えない」と

なぜか私が教えてもらえなくなったり、

「日本に呼んでくれないなら、もっと金持ちを習いに来させろ」と言われたり、

高いレッスン代を払ってもほとんど何も教えてもらえず、

そのくせセクハラまがいの行為をされたりと、

散々な目にあったので、いい加減、嫌気がさしてしまいました。

 

弟子として可愛げがないから、女性であることを上手く利用できないから、

というのもあるんでしょうけど、そこまでしてがんばったところで心は死ぬので。

「音というのは、手じゃなくて心から出るんだよ」と教えてくれたのは

最初の師匠でした。

 

今はほぼ誰にも知られずに、自分のためにだけひっそりと進行中。

時間はほんの少ししか割けなくなったけれどもね。

それでも誰よりも長く一緒の時間を過ごした長年の相棒です。

 私の相棒はこちら。

恋人、と言えたらかっこいいけれど、

この楽器の名前はヒンディー語で女性名詞なので、

いちばんの女友達といったところでしょうか。

 

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