それでも雨が降るときは

ホリスティックに発達障害とつきあう

なりたかったのは普通ではなくて健康

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発達障害のある人が「普通になりたい」と言うことがよくあります。

実をいうと、私は「普通になりたい」と思ったことがないのです。

発達障害なんて概念が広まるずっと前から生きてきたので(笑)

自分がおかしいのではなく周りの方が変なんじゃ?と心の中では思っていたし、

普通であることから少しでもはみ出すことを病的に怖れる家族に育ったので

反抗心からか、普通というものをバカにしていた時期もありました。

 

発達障害者は30を過ぎると急に発達する」という俗説が

あるとかないとか聞いたことがありますが、

確かに私も、30を過ぎたあたりから急に発達したような気がします。

というか、「社会」というものが意識できるようになった。

それまでは、本当に自分の世界に生きていたんですね。

他人の視点、社会の視点というものがまったくもてなかったんです。

だから逆に、あまり人からどう思われるかも気にしていなかったし(笑)。

ある意味ではその頃の方が幸せだったのかもしれない。

脳が発達しだすと必ずしもいいことばかりじゃなかったりするのかもしれません。

確か、『アルジャーノンに花束を』もそんな話じゃなかったっけ(違った?)?

 

それで30代はまだもやもやとしていたのが、

40を過ぎるとデータ量もかなり溜まってくる(発達障害者の社会性は

自然にできるのではなくデータ蓄積の上にしか成り立たないので

引きこもっているとデータ蓄積できませんよ)ので、

そこそこには振る舞えるようになってきたし、

エネルギーが低下してくるので大人しくしていた方が楽かも、

という打算も入ってくる(省エネ)。

 

生後半世紀近く経ってようやく人間関係における「損得」というものが

わかりかけてきた今日この頃。

我ながら情けない、と思うべきなのかもしれないけれど、

そもそも「普通」であることに元々興味がないのでどちらでもよい。

 

それよりも、振り返ってみると昔から私が一貫して切に求めていたことは、

「普通」ではなく、「健康」であること。

そう、心身ともに健康になることなのでした。

自分にとっての幸せとはなんぞや、と自問してみても、

思いつくのは「健康」だったのです。

 

一日中仕事をしても死にそうにならず、休みの日にはどこかに遊びに行ける体力。

ジェットコースターのような上下を繰り返さない安定した情緒。

私が求めていたものはそんなものでした。

それを「普通」というのなら、そうなのかもしれない。

 

でもそれも、達成しつつあります。

数々の試行錯誤の結果、心身ともに人生で今がいちばん「健康」。

同じ世代は、階段上りたくないだの、更年期症状がつらいだの

と言っているのにですよ。

今までがひどすぎたから、それに比べたらはるかに元気。

 

発達障害を楽にしたいと思ったら、自分分析よりも何よりも

身体のメンテ、栄養の補給が第一。

頭ぐるぐるさせるより、走った方がよいのです。

 

 

 

こちらもよろしくです。

 

ガイド 壮年期のアスペルガー症候群:大人になってからの診断は人生をどう変えるか

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