それでも雨が降るときは

ホリスティックに発達障害とつきあう

母の日に思ったこと

先日はそういえば全国的に母の日でした。

 

そういえば、というのは、私の母はもう二十数年前に亡くなっているので

その後は母の日なんて縁がないからです。

 

父は仕事で忙しく、ほとんど接触がなかったので

小さいときはお母さん子でしたが、厳しかったため、

そのうち反抗するようになりました。

 

「お母さん、そういう子嫌い」と言われるのが怖くて

顔色ばかり窺っていたのが、高校生くらいになると、

このままでは自分が潰れると思い、精神的に親離れしようとし始めたのです。

 

年がいってからの子どもだったので、母親とは早く死に別れるんじゃないか

という気がしていたこともありました。

晩婚が珍しくなくなった現在の感覚では、母はそれほど年だったわけでもなく、

父親の方が年上だったのに、なぜか父についてはそう思いませんでした。

私はなにか、そういうふうに勘が鋭いところがあったようです。

 

当時は発達障害なんて概念はなかったけれど、さすが母親、

この子は普通には世間でやっていけそうもないというのがわかっていたようで、

当時成績に良かった美術や英語に力を入れている高校に行かせようとしました。

一芸を身につけさせようとしたのでしょう。

 

でも残念ながら、すでに音楽に夢中になっていた私は、

バンドをやるために自由な校風の普通の学校に進みました。

今になって思えば、母の言うことをきいて早くから手に職をつけていれば

こんなに苦労することはなかったのかもしれないと思います。

 

そんなふうに、反抗ばかりしていたダメ娘でしたが、

ひとつだけ、母に感謝していることがあります。

子どもの頃から毎朝、寝起きが悪い私を叩き起こして

朝食を食べさせ、家から追い出してくれたことです。

 

当時は鬼ばばあと思っていたけれど、振り返ればそのおかげで

決して寝起きがいいわけではないにもかかわらず、

これまでほとんど寝坊をしたことがありません。

全校の三分の一が毎日遅刻するというゆるい高校だったのに、

一度も遅刻をしませんでした(2年目からは早退ばかりして

中古レコード屋をふらついていましたが)。

 

もちろん、仕事でも電車が遅れでもしない限り、

遅刻をすることはありませんでした。

アスペルガーというのは、一度染みついた習性は

ずっと続けていられるのです。

 

だから、今、非定型発達のお子さんを育てているお母さんも、

大変でしょうけど、最低限、社会生活で必要なことは

しっかりと身につけさせてあげてほしいと思います。

それは簡単なことではなく、嫌われることもあるかもしれず、

私のように出来のよくない子であれば、その有難みがわかるのは

うんと先かもしれないですけど。

 

今になって思います。

「のびのびと育ってほしい」などと言って甘やかさないでいてくれてよかったと。

おかげで私は一応なんとか社会で生きていけています。

 みんな立派に子育てをして、早ければ孫だっている歳になって

こんなことを言うのも情けない話ではあるけれど(笑)。