それでも雨が降るときは

ホリスティックに発達障害とつきあう

自分で自分に発達障害の暗示をかけない

自分に発達障害があることを知るのは、

長所や短所を客観的に把握して(発達障害者にはそれが難しい)

適切に改善を図るためには重要ですが、

ときにはそれが呪縛となることがあります。

 

特に気づいたばかりの頃や診断を受けて間もない頃に

そうしたことが起こりやすいと思います。

日常で起こる数々の失敗をいちいち取り上げては

「だから私ってアスペなんだ」とか「これもあれも発達障害のせい」

などと、発達障害のある自分へのダメ出しを繰り返します。

 

そうするとまるで暗示にかかったかのように、

発達障害のある自分」という意識が過剰になって

発達障害的なふるまいが増えていくこともあります。

 

私は子どものときにはとてもボーっとした子だったので

(実は今でもそうだけれど、やるべきことは押さえられるようになったので

あまりそう見られることはない)、家族はいまだにそのイメージを持っています。

 

私は待ち合わせ時間は守る方で、遅刻することは普段はほとんどないんです。

でも、いまだに私がボーっとしてだらしのない人間だと思っている姉

と待ち合わせするときに限って、

余裕をもって家を出たとしてもなぜかどうしても遅れてしまうのです。

姉はきっちりした人なので、1分でも遅れようものなら

「今どこ?」とすかさずメールが入ります。

なので、絶対に遅れないようにしようと思うのですが、

そう思えば思うほど、なぜか遅れてしまっていたのです。

 

ほかにもこんなことがありました。

私は普段、計算ミスが多いわけではないのですが、

昔、ある集まりで、定期的に集計を出さなくちゃならないことがあって、

その取りまとめをしている人がこれまた細かい人だったのですが、

その人に注意されないようにしようとしているのに、

なぜか毎回ミスを出してしまうのです。

その人の中では私は「ミスの多い人物」となっていると思いますが、

気をつけても気をつけても毎回見事に、違うミスをしてしまうのでした。

ちなみに普段はミスの多さを指摘されることはありません。

 

そういうわけで、意識すればするほど、なぜかそのように

ふるまってしまうという不思議なことが起こることがあります。

自分は人づきあいが苦手なのだとか、こういう状況でパニックになるのだ

と思っても、対策を立てずにただ意識するだけでは、

かえって緊張が高まり、悪化するだけになりかねません。

下手をすると、自己暗示をかけていることになります。

 

なので、あまり発達障害発達障害と意識しすぎずに

(ネットでその手の情報を四六時中追いかけていたり発信したりしていると

嫌でも意識が強くなります)、

ときには忘れることも大切なのでは、という気がします。

 

拙訳書『壮年期のアスペルガー症候群』では、

あるシャーマニックヒーラーが次のように言っています。

ASDという状態は、あなたがともに生きるものであって、

あなたそのものではありません。」

 

発達障害があったとしても、それは自分の一面にすぎません。

自分の他の側面もしっかり生きましょう。

 

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しつこいようですけど、拙訳書の宣伝です。(しばらく続きます)

詳しい内容はこちらを。

manakawase.hatenablog.com