それでも雨が降るときは

ホリスティックに発達障害とつきあう

アスペ女性向き恋愛映画

今年はめずらしくGWにあまり仕事が入らなかったので

昨日は映画を観に行ってきました。

 

主人公はコミュニケーションが不得手な女性、という設定ですが、

アスペルガーサヴァンの典型的な特徴をもっています。

 

男性主人公がアスペルガー的というドラマや映画はわりとあると思いますが、

これだけ典型的なASDをもつ女性が主人公というのは珍しいような気もします。

主人公の不器用さは、涙なしには観られませんでした。

何といっても、夢の中の鹿のシーンが美しい。

あんな世界で鹿でいられたら、きっと幸せでしょうに。

 

小さい映画館だったので、ウェブ上でチケット予約ができないから

早めに行ったんですが(遠視なのでいちばん後ろでないとつらい)、

予告編が始まると思いきや、映写機の不具合だとかで映像が映らず、

観客はいったんロビーに出てしばらく待たなければなりませんでした。

 

映写機が復旧しなければ上映は中止ということだったので、

「こんなんだったら早く来た意味がなかった」とか

「また観に来なきゃならないじゃん」とか

「やることいっぱいあったのに、やっぱり来なきゃよかった」とか

ぐるぐる頭の中を駆け巡ります。

 

けれどもなぜか、ふと思い直して

「まあ、中止になったとしても、何が幸いするかわからないし。

映画が観れなかったとしても、都心に出てきて何かいいことあるかも」

なんて思ってました。

 

すると、すぐに復旧したとかで、予告編が観られなかっただけで

本編はほぼ時間通りに始まり、おまけにお詫びとして招待券をいただきました。

ちょうどチラシを見て気になる映画があったけれど、

わざわざ1800円払ってまで観たいというほどではなかったので、ラッキー。

これって「塞翁が馬」「A blessing in disguise」ってやつでしょうか。

そういうことって結構ありますよね。

何が幸いするかは最後までわかりません。アスペであることも含めて。

 

 

午後は銀座に移動して、歌舞伎座で幕見席で菊五郎の弁天小僧を観ました。

日頃は並ぶのは大嫌いなのに、好きなこととなると1時間半も

平気で並んでいられるという見事なアスペ力を発揮。

 

 

すごいな、この映像、まるまる観られる。いいのかしら。

これは相当昔の映像で、今、菊五郎は70半ばですが、

そんなことをちっとも感じさせませんでした。

歌舞伎役者さんってホントに恐るべし、です。

 

午前中にあんなに繊細な映像を観た後に、

午後は悪党の弁天小僧が女性に扮してゆすりたかりをする芝居を観るなんて、

我ながら幅の広さ(悪く言えば支離滅裂さ)に感心します(笑)。

 

本当はこの手の派手な演目よりも、文楽がもとになっている義太夫狂言の方が

しっとりしていて好きなのですが、この日はこれが観たくなったのです。

 

なぜかというと、『心と体と』の鹿の世界のような、ああいうものの方が

自分の本質に近いのだけれど、あまりそこにどっぷり浸ってしまうと、

出てこられなくなってしまうからです。

あの世界というのは、残念ながら現実の世界とは相容れない。

あそこにいたら、現実では生きていけない。

だから、現実に戻るために、

それとは正反対の世俗的なものが観たかったのだと思います。

聖域は聖域として自分の中に保ちつつも、塵芥の世の中で生きていかなきゃならない。

そうしないと、だんだん鬱方向に行ってしまうんですね。

 

まあこれは、後から付けた理屈ですが、

私はどうも、無意識のうちにそうやってバランスを取るところがあるようです。

今まで生きてきて、ギリギリのところでメンタルを病まずにいられたのは

そのせいもあるかもしれません。

 

映画の中で、最後に夢の世界から鹿はいなくなるのですが、

それもそういうことなのだろうと思います。