発達障害の診断に至るまで
物心ついたころから、生きるのが大変でした。
でも、それがなぜなのかはわかりませんでした。
両親もちゃんといるし、特に貧しいわけでもなかった。
それなのに、なぜか普通に生活しているだけで大変だったし、
何が大変なのかもわからず、それを言葉にすることもできませんでした。
そのうちに、きっと皆大変なのだけれど、
それを隠して明るく振る舞っているだけなのだ、
自分は「演技力」が足りないだけなのかもしれないと思うようになりました。
大学生のころ、絶えず異様な眠気があって、
頭が霞がかったような状態にあったことから、
「自分は何か脳みそに問題があるんじゃないかと思う」
と友人に言ったところ、一笑に付されました。
でも今にして思えば、私の勘は当たっていたのです。
その後、30歳のころ、
地元の小さな書店で1冊の本のタイトルが目に留まりました。
ドナ・ウィリアムズの『自閉症だったわたしへ』。
「自閉症」…?もしかして?
いや、でも、まさかそんなわけないか。
そう思ってそのときは手に取りませんでした。
自閉の神様(そんなものいるのか)は人生の端々で
気づかせてくれようとしていたのかもしれないけれど
ようやく気づいたのは33歳のとき。
ある日新聞を読んでいたら「周囲に違和感」
と見出しの付いた記事に目が釘づけになりました。
アスペルガー症候群の当事者を取り上げた記事で、
それを読んだとたん、「私は絶対これに違いない」と確信しました。
100%これに間違いない、という絶対的な自信がなぜかあったのです。
それまでそれなりには何とか社会で生きてきました。
一応、友人らしい人もいたし、大変ではあっても
傍目には問題があるようには見えなかっただろうと思います。
それでも、なぜか私は仲間意識というものがもてず、
どこかに属するということができずにいました。
思いっきりマニアックな趣味の分野であっても、
仲良くすることを求められても、
なぜかいつもある程度の距離を置きたくなったのです。
その頃、心を浄化するための瞑想法をやっていたこともあって、
それはすべて、自分の心が汚いせいなのだと思っていました。
心が汚いから他人が受け入れられないのだ、
だからもっと心を浄化しなくては、と。
それで、その記事を読んだとき、
ガラガラっとすべてがひっくり返るような感覚があって、
居ても立ってもいられず、
その記事に載っていた自閉症協会の連絡先にさっそく連絡してみました。
新聞の記事を読んで、自分はアスペルガー症候群ではないかと
思うのだけれど、どこで診断を受けられるのかと訊いたところ、
成人を診られる医師はいないけれど、
近くに小児専門の精神科医がいるからきっと診てくれると思う
と某クリニックを紹介され、すぐに予約を入れました。