それでも雨が降るときは

ホリスティックに発達障害とつきあう

父の日に思ったこと

毒親」という言葉を最近よく耳にします。

私は母はとうの昔に亡くなっているし、

父へのわだかまりもずいぶん前になくなったので、

他人事のように思っていました。

それでも周囲には親に対するわだかまりを未だに引きずっている人が

少なくないので、気にはなっていたのです。

 

先日、『女子の人間関係』の著者である水島広子さんの

『「毒親」の正体』という本が出たので読んでみたところ、

いわゆる「毒親」の中には発達障害と思われる人が少なくないとのことでした。

その場合、親には悪気はなく、変わることを期待するのは難しいとのこと。

 

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「毒親」の正体 ――精神科医の診察室から *3

 

 

 思い返せば、私も父のことを許せるようになったのは、

自分が発達障害であり、発達障害が遺伝によって受け継がれることが多い

ということを知ってからでした。

 

私の両親は喧嘩というものをほとんどしませんでした。

仲が良くて喧嘩をしなかったというのではなく、

夫婦間で問題が起きると、喧嘩をするわけでもなく

(見えないところでしていたのかもしれませんが)、

母はハンストを起こして一日部屋に閉じこもりっぱなし。

父は話し合おうとするわけでもなく、近所に碁を打ちに逃げ、

子どもたちだけでご飯を作って「お父さん、ご飯できたよ」と呼びに行く。

次の日には母も仕方なく部屋から出てくる。

そんなことが何度かありました。

 

母が病気になったときも、父は言葉で愛情を示すということができない人だったので、

温かい言葉をかけることもできず、その代わりにしたことといえば、

台所をリフォームするというもの。

無駄の大嫌いだった母が、そんなことをしたら二度と口をきかない、

と言ったにもかかわらず、父はリフォームしてしまい、

母は本当に口をきかなくなり、その後まもなく亡くなりました。

長年連れ添った夫婦がそんな別れ方をするなんて、

娘としてはかなりショックでした。

 

そんなわけで、昭和ひとケタ生まれの男性としては珍しくないんでしょうけど、

父はお金を与えることで家族に対する責任を果たしていると思っていたようでした。

そんな父親に高校生のころから反発を覚えて、長いあいだ嫌ってきましたが、

発達障害という視点をもって父のことを考えると、

まったく違って見えるようになったのです。

一応、社会では立派にやっていたとしても、ごく軽度でも発達障害があったとしたら、

一家を養うというのは楽なことではなかっただろうし、

子どもの人生に興味をもたないのも致し方ないことなのではないかと。

 

父には「お前はうんとお利口だったらよかったのに」だとか

(うんと頭がいいわけでなければ、

中途半端に小利口なのは女として可愛げがないだけ)

「一度くらいはお嫁に行けば。離婚すればいいんだし」

(行き遅れより出戻りの方がよい。娘の幸せより世間体)だとか言われてましたね。

なるほど、この本によれば、こういうのも「毒親」に当たるんだそうです。

 

一時期は、私がまともに定職ももたずにフラフラしていたのを

私が「おかしく」なったのは、自分が子どもの頃にかまってやらなかったから

だと思っていたようでした。

私は「おかしく」なんかないし、そう思われるのも癪だった。

 

発達障害というものを知って、そんなわだかまりも消えていったある日のこと。

つい数年前のことだったと思いますが、何の連絡もなしに父が突然

私の家を訪ねてきたことがありました。

 

やっと仕事をひと段落して、遅い昼食のために炒め物をしようとしていたときのこと。

「今駅にいるんだけど」と電話がかかってきました。

お腹がすきすぎてイライラ最高潮だった私は

「なんだって突然来るのよ!家にいたからいいようなものの、

遠い所まで来て留守だったらどうすんの!」と思わず怒鳴ってしまいました

(予定外のことに対処するのが苦手というアスペ特有の事情も)。

 

仕方なく迎えに行きましたが、実家を出てから二十数年来、

父が私を訪ねてきたのは初めてのことでした。

うちでお茶をしているときに父がポツリと言いました。

「これでお前のうちにも来たし、思い残すことなく死ねるな」

 

あとになって思い出しましたが、二十代の頃、喧嘩をしたときに

言ったことがあったのです。

「子どものことなんてちっとも興味ないじゃない!

私のところだって一度も来たことないくせに!」って。

もう二十年も前の話だというのに、ずっと心の中にあったんだなと思うと、

ちょっと切なくなりました。

 

父とはお互いアスペルガー同士(と勝手に決めている)。

普段は相手の存在をほとんど忘れているし、

年に1度しか会わないクールな親子関係です。

再婚相手がいるので、心配する必要もありません。

父が母とは違う別の女性と暮らしているというのは何とも不思議なものでしたが、

今では父にそうして家族がいて、幸せ(かどうかは知りませんが)で

いてくれているのにホッとしている自分もいます。

父が私に対して負い目を感じていたように、私もまた父に対して

自分が普通の生き方をせず、結婚もせず、子どもももたずにいることに

負い目を感じていたのかもしれません。

 

この本の中では親との問題を引きずっている人は反抗期を体験していない

ことが多いとあります。

そういえば私は、反抗しまくってましたっけ。

15年くらいは続いた、長い長い反抗期でした。

あれがあったおかげで、今こうして私は親を恨まずにいられるのでしょう。

 

 

女子の人間関係と「女」度

女性の人間関係が苦手なアスペルガー女性は多いと思います。

かくいう私もその一人です。

 

三姉妹の末っ子として育ったので、子どもの頃から女性の人間関係が

厄介だということは身に染みて感じていました。

二人ではなく三人ともなれば、立派な社会です。

2対1という状況になることも少なくありません。

 

私は自閉症圏の人間なので、子どもの頃は特に反応に乏しく、

そのせいか「お前は可愛くない。友だちの妹はもっと可愛い」

と姉たちに言われていました。

普段は反応に乏しい私がパニックになるのが面白いらしく、

「ご飯だよ」と呼びに来たので行こうとすると

外からドアを押さえられて出られず、泣き叫ぶようなこともありました。

これについては、大人になってからも、普段はクールな私が激するのを面白がって

地雷をわざわざ踏むようなことをする人にもたまに出会うので、

そういう人間はいるものなのだということを肝に銘じるようになりました。

 

そんなわけで、幼少時から女の嫌な部分を肌身で感じてきたので、

高校進学のときには母親に「滑り止めでも絶対に女子高は受けない。

女子高に行くくらいなら高校には行かない」と宣言したほどでした。

 

現在はといえば、それなりに場数を踏んで距離の取り方もわかってきたし、

嫉妬深いのは女性ばかりではなく、意外と男性の嫉妬深さ

(恋愛の文脈ではなく)も面倒なものだとわかってきたので、

それほど女性との人間関係は苦手ではなくなりました。

 

それでも『女子の人間関係』という本を知ったときには気になって読んでみました。

女子の人間関係

女子の人間関係

 

 著者の水島広子さんは精神科医ですが、女性ならではの視点が多く、

参考になる本が多くあります。

 

この本では、女性の嫌な部分を「女」と呼んでいます。

「女」度の高い人とは、裏表があるだとか、群れたがるだとか、

陰口や噂話が好き、などです。

 

そう考えると、私自身は「女」度がかなり低い方だと思うのですが、

アスペルガーの女性、しかも診断がつくほどの自閉度であれば、

「女」度が低い人が多いのではないでしょうか。

男性脳」だと言われるほどですもんね。

 

グレーゾーンの女性は男性にモテるので女子から嫌われやすいという

説もありますが、真性アスペの女性は性格的にサバサバしすぎて

色気がないのでもてず(少なくとも、自分も含め、未診断であれ、

私の周囲にいるアスペっぽい女性たちはもてている様子はありません(笑))、

他の女性の脅威にならないので、その点では、実はそれほど嫌われません。

嫌われるとしたら、話が合わない、お局様と上手くやっていけずに

結果としてはじき出される、などでしょうか。

 

ただ、この本を読んで思ったのは、「女」度が低いというのは

「女」度が高い人の気持ちを理解することができないということなので、

知らず知らずのうちに相手の「女」の部分を

傷つけているのかもしれないということです。

 

「女」度が低くくてもやはり女であることには変わりないので、

「女」の部分を刺激されて、自分の中の「女」が出てくることはあると

この本では言っています。

 

確かに、長年生きてくると、自分には無縁と思っていたような「女」の部分が

私にもあるのだと思うことがあります。

それに気づくと、他人の「女」の部分も理解できるようにもなってきます。

実は、「女」度が低い人ほど読む必要がある本なのかもしれません。

 

 

マンガの効用

自閉症の子どもは周囲の人との会話からではなく

テレビや本などで言葉を覚えるという話があります。

大人でも書き言葉のようなしゃべり方をする人もよくいますし、

自閉症者は方言を話さないことが多いという説もあります。 

 

自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く

自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く

 

 

私はわりと話し言葉は普通だったように思いますが、

考えてみたらそれはマンガばかり読んでいたからだったようです。

 

姉が2人いたので、うちには常に少女マンガの月刊誌や週刊誌が数冊あって、

漢字もマンガで覚えたようなものでした。

そのおかげか、小学校のときに400点満点の漢字テストで

一人だけ満点を取ったことがあって、「漢字博士」と呼ばれましたが、

偏った才能も育てなければただの人。

今では人並み程度にしか漢字はわかりません。

 

マンガをたくさん読んでいてよかったと思うのは、

話し言葉がそれほどおかしくならなかったことと字を覚えたことのほかに、

女子の人間関係の予習ができたことです。

 

何しろこういう脳みそをもって生まれてきたのだから、

人間の複雑な心理なんていうものはなかなか理解できません。

 

姉たちが観ていたようなドラマはまったく興味がもてず、

本も、図書館でよく借りてはいましたが、

実際に読んでいたというよりは、図書カードにスタンプがたくさん

押されていくのが嬉しかったから借りていたのでした。

 

自閉っ子らしく、自ら好んで読むのはSF小説ばかりで

ブラッドベリバロウズの「火星シリーズ」

(主人公の元軍人がなぜか幽体離脱して火星に行ってしまい、

ヒーローになるというお話)がお気に入りで、

マンガもSFものや歴史ものが好みでした。

 

ただ、雑誌をとっていると、いろんなジャンルのマンガが載っていて、

中には学園ものや恋愛ものなんかもあるわけです。

マンガ雑誌は隅から隅まで読んでいたので、

そうしたものも当然ひと通り読んだわけですが、

それが功を奏して、学校での女子の人間関係でさまざまな

状況に出くわしても、パニックにならずに済んだのだと思います。

 

修学旅行の夜に、誰かが「○○くんのこと、好きだったのに」とか言って

泣き出したかと思ったら、次から次へと皆「私も」だとか言い出して

気づいたら皆で泣いているっていう、

アスペもちからすると意味不明だったりする状況でも、

マンガで読んでいるから心情は察することはできたわけです

一緒に泣きはしないけれど)

 

今思えば、マンガを読まずに育っていたら、

女性であるアスペの私の人生はもっと大変だったかもしれません。

 

今は昔に比べたらずいぶんドラマも観るようになったけれど、

気づいてみれば、ちょっと変わった登場人物が出てくるものばかり。

やっぱり共感できるものしか観続けてはいられませんね。

朝ドラの主人公はグレーっぽいのが多いと思うのは私だけ?

 

そういえば、ひと昔前って、たとえば中国人がしゃべる日本語は

「~であるよ」みたいなイメージがありましたが、

今そんな話し方をしている外国人ってあまりいなくて、

皆ものすごく自然な日本語を話すので感心させられます。

 

これは、日本のマンガやアニメやドラマが手軽に観られるようになった

こともあるかと思いますが、テレビのバラエティー番組などで

芸人のツッコミなどを画面に文字で出すことも影響しているんじゃないでしょうか。

聞き取れないようなくだけた言葉やスラングでも文字で確認できるんですよね。

最近はそれほどでもなくなったような気がしますが、

一時期は字幕放送かと思うくらい、やたらと文字が出ていたような。

 

そう考えると、そういうテレビ番組を観て育ってきたアスペルガーの子どもは

バラエティー番組的な会話を覚えて身につけやすく、

日常生活でも気づかれにくいのかもしれません。

文章が読めない理由 その2 眼そのものの問題

発達障害者は学習障害を併発していることも多いですが、

学習障害という診断がつかなくても、

眼球運動に問題があって読書などに支障が出ることもあるようです。

球技が苦手な子どもも多いと聞きました。

 

私も、子どもの頃はドッジボールが大の苦手で、恐怖と言ってもいいくらいでした。

テニスやバドミントンも、ラケットの球が当たる部分と

手が離れているので、サーブしようと思って球を上に上げても

当たらずスカッと空振りしてしまうという情けなさ。

卓球は手との距離が短いので大丈夫でした。

つまづいて転ぶこともよくありました。

 

大人になってからも、自動車免許を取ろうと教習所に行っても

車間距離が上手く測れず、仮免試験2回、卒業試験2回落ちて、

最後は「きみは一人じゃ乗らない方がいいね」と言われて

お情けで卒業させてもらったようなものでした。

当然、ペーパードライバーです。

 

身体障害者の介護をしていたときも、車椅子を押していて、

利用者さんの足先を物に当ててしまうことがよくありました。

眼で見て適切な距離が測れないからです。

 

発達障害の診断を受けたときに、視覚機能の検査を奨められたのですが、

当時はお金もなかったので、結局受けずじまいでした。

 

それが数年前、簡単な視覚機能の検査を受ける機会があったのです。

 

私は元々、遠視気味なのでメガネには縁がなかったのですが、

仕事柄、一日中パソコンを見ているせいもあって、

40手前で老眼鏡が必要になってしまいました。

(余談ですけど、眼科の先生は老眼だとは

なかなかはっきり言ってくれなかったのです。

「老眼ですか?」と訊いても

「遠視の方は早いですからね…」というだけで。

女性は「はぁ? 老眼!? 冗談じゃないわよ!!」って怒りだす場合もあるとか

ネットで読んだことがあるので、そのせいかも)

 

 それで、メガネを作ったのですが、しばらくすると

それでも一日の終わりには目が疲れるようになりました。

特に右眼だけが痛くなって、吐き気もするほどだったのです。

 

そんなとき、テレビで知ったのが、「隠れ斜視」というもの。

普通の斜視とは違って、眼を開けている状態では両眼の視線は揃いますが、

眼を閉じると元の楽な斜視の状態に戻るそうです。

つまり、斜視のある方の眼球の筋肉を働かせて視線を揃えているわけです。

それで、一日の終わりに筋肉が疲れたり加齢とともに筋肉が衰えたりすると、

目が疲れてくるのだそうです。

隠れ斜視は特に珍しいものではなく、実は多くの人にあるのだとか。

 


さっそくこのメガネ屋さんに行って相談すると、

案の定、軽い隠れ斜視がありました。

それでメガネにプリズムを入れてもらうことで右眼だけ疲れやすいという

問題は解決したのです。

 

このメガネ屋さんのご主人はアメリカでオプトメトリストの資格を

取得された方なので、知識も豊富で発達障害と視覚機能の問題についても

ご存じなようで、ついでに簡単な検査もやってもらえました。

その結果、矯正した状態では問題はないようだということで安心。

現在は検査はやっていないようですが、

視覚情報処理検査が受けられるセンターやビジョントレーニングの本

の一覧が載っているので、気になる方はぜひご覧ください。

 

 

ちなみに一心堂さんはお値段はごく一般的で、

メガネを郵送してくれた際に、ビジョントレーニング用の

ブロックストリングもつけてくれました。

 

ビジョントレーニング、ここのところすっかりサボっていたけれど、

眼精疲労が今いちばんの問題。またやらなくては。

いい加減に、遠視の眼を休ませるために普段使いのメガネも作らなくてはいけないし。

 

ということで、文章がなかなか集中して読めないのは、

眼そのものに問題がある場合もあるようです。

 

文章が読めない理由

先日、ネットで、文章を理解できない人が増えているらしいという記事を読みました。LINEやツイッターばかりやっていて、長い文章の読み書きが

できなくなっているという話は聞いたことがありますが、

この記事では、ツイッターのつぶやきにさえ、文脈を無視した反応をしてくる、

とあるので、文章が長いか短いかという問題でもないようです。

 

高学歴でも文章を理解する力が不足している人が少なからずいる

ということが指摘されていますが、そうなるとやはり、

発達障害との関連は無視できないのではないでしょうか。

 

もちろん、この記事に書かれているように、文章を理解するテクニック云々とか、

感情が先に立ってしまうだとかもあるだろうと思いますが、

発達障害ということも念頭におくと、もっと違った理由が見えてきます。

 

私自身、実務翻訳者という仕事柄、日頃から大量の文章を読んでいますが、

書かれ方によって、なかなか頭に入ってこないこともよくあります。

 

それは文章の書き方、というのもありますが、ただ単に、

書体の問題だとか、行間の詰まり具合だとか、色使いが原因のこともあります。

ブログを読んでいても、あまりにカラフルだったり、

ところどころ文字が大きくなって強調されていると、

目がチカチカしてしまって、長いあいだ読んでいられません。

できれば背景も本当は薄く色がついていた方が読みやすい。

本の場合、その点、Kindleだと、背景色が変えられるのでありがたいです。

今はメガネに薄く色をつけたので、白でも大丈夫になりましたが。

 

ちなみに、はてなブログを選んだのは、自分が読みやすいからです。

ア〇ブロは人気があるようですが、個人的には読みづらくて苦手なのです…。

まあ、自分でいろいろカスタマイズすればいいだけなのかもしれませんが、

そんな暇もないので、手っ取り早く始めるには、

シンプルで読みやすい、はてながよかったのです。

 

とある精神科医が書いた発達障害の本を読んでいたら

発達障害者を理解しようとする姿勢のみられるいい本ではあったのですが)、

アスペルガーの人は規則性を好むので、太さが均一でない明朝体より

ゴシック体を好む」というようなことが書いてあって、

おいおい、と思いました。

私、明朝体、大好き。だって明朝、美しいもん。

どちらかというとゴシックの方が苦手(書体によるけど)。

 

発達障害のやっかいなところは、人それぞれ苦手なものが大きく異なることで、

そのニーズのすべてに応えることを求めるのはやはり難しいかと思います。

 

となると、やはり自分で工夫するしかなさそうです。

まずは、文章が読めないときがあるということを自覚すること。

私の場合は、仕事で長文メールの指示があった場合はまず気を落ち着けます。

さあ、読むぞ、と構えてから読みます。

それで、抑えるべきところをチェックして、必要なら別に書き留めます。

読みづらいようなら、コピーして、Wordか何かに貼り付けて、

自分の読みやすいように行間やフォントを変えたり、

線を引いたりするのもいいかもしれないですよね。

 

テレビで、パソコンを使って各自好きなように

ノートを取らせている小学校があるというのを知りました

自分の好きなフォントや文字の大きさで、自分でわかりやすいように

ノートが取れるのです。いいですよね。

 

それから、前述の記事では、米国人とのやり取りでは

そうした齟齬が起こりにくいとありますが、

英語と日本語の違いもあるのだと思います。

英語は主語述語がはっきりしているので、

主語を省略することが当たり前な日本語とは違ってわかりやすいですし、

単数形・複数形や動詞の変化から、さらに誤解が生じることは少なくなります。

日本語は「人魚構文」と言われるように、

文法的に読み解くのが難しい言語なのでしょう

(日本語がペラペラな外国人ってホントにすごいと思います)。

 

私はたまに仕事で英訳もやりますが(会話はろくにできないくせに)、

原文の日本語の読解に苦労することがたまにあります。

メディカルライターなど、プロの書き手が書いたものは問題ないのですが、

議事録など、社員が書き起こしたと思われるものは、

「てにをは」がおかしかったり、何を指すのかが前後の文脈から

わからなかったりすることも少なくはなく、

自分で一度、読みやすく文章を書き直してから英語に訳すこともよくあります。

 

考えてみれば、日本の国語教育では、作文や感想文などは書かされますが、

読みやすい文章の書き方というのは教わらないのではないでしょうか

(少なくとも私と同世代は教わっていないはず)。

昔、バイリンガルの友人と話していたら、アメリカでは文章の書き方というのを

きちんと学校で習うと言っていました。

それがどこまで一般的なのかはわかりませんが。

 

それを考えると、メールなどで文章で指示を出す側も、

本人も気づいていない発達障害が読み手の中にある可能性というのを考えて、

主語述語のはっきりした、わかりやすく読みやすい文章を書くというのが

仕事上の生産性を上げることにつながるのではないでしょうかね。

脳の負担を軽くする分身の術

先月はえらく仕事がヒマだったのに、

今月に入ってにわかに忙しくなってきました。

フリーランス業は不安定なので、ありがたいことですが、

この波に精神的に左右されずに対応できるようになるまでに

結構時間がかかりました。

 

フリーで実務翻訳の仕事をするようになって

かれこれ10年になりますが、最初の頃は、

しばらく仕事が来ないと、

「何か前の仕事でひどい誤訳をしたんじゃないだろうか、

もう仕事は来ないかも」と考えてひどく不安になったり、

次いつ仕事が来るかわからないと思って休みなく働いたり。

自律神経をおかしくして、文字通り目が回って

仕事の合間にひっくり返ったりしていました。

 

でも、長年やっていると、別にまずい仕事をしたわけでもなく、

単に業界全体が暇な時には暇らしいことがわかってきました。

どこからも声がかからないなと思っていたら、

次の日にはいくつかの翻訳会社から声がかかって

もったいなくも、全部は引き受けられないことも。

今では、仕事がない日はやりたくても時間がなくてできないことをやるチャンス、

とばかりに空いた時間を有効活用しています。

 

そうやって上手に切り替えられるようになる前は、

あまりに忙しくなってパンパンになり、ブチ切れたこともありましたっけ。

断ったはずなのに、どうしてもダメですかというメールでの問い合わせがあり、

「できないって言ってるじゃん!」と思わずスマホを投げ飛ばしたら

ヒビが入ってしまいました(*_*;。

 

単に相手は、ダメもとで訊いてみただけなんでしょうけどね。

もちろん、メールでは丁重にお断りしましたが。

低血糖の問題に気づく前は、感情のジェットコースターが起こっているときに

こうしたことが起きると、「なんだって私ばっかり何でもかんでも

やんなきゃいけないのよ!」ってな気分になることもありました。

今思えば、ただ断ればいいでしょ、ってだけなんだけれどもね…。

 

以前は、予定が詰まっていて、あれもしなきゃ、これもしなきゃと考えていると

頭がパンパンになってしまうことがよくありました。

そんなときに、紙に書き出して頭から一回出すといいという

アドバイスを受けて実行してみると、なるほど、少し楽に。

 

そのときに、以前に本で読んだことを思い出しました。

確か、この本。 

脳と気持ちの整理術 意欲・実行・解決力を高める (生活人新書)

脳と気持ちの整理術 意欲・実行・解決力を高める (生活人新書)

 

 自分一人が全部やらなきゃならないと思うからしんどくなるわけで、

月曜日の自分、火曜日の自分、というふうに毎日違う自分がやると考えて、

今日の自分は今日やる分だけを考えればいい、というようなことが

書いてありました。

 

やるべきことを紙に書き出すというのをこの考えと組み合わせると、

「今日の私はこれだけやればいいのよね、あとは月曜日の私にやらせよう」

「火曜の私、ヒマそうだからもうちょっとやってくれるかな」

なんていうことになります。まさに分身の術。

これだけで頭も気持ちも負担が減ります。

 

ここでひとつ問題になってくるのは、

「日曜のあいつ、いいよね、楽で」

「今日の私ばっかりこんなにやらされて」なんて、ほかの曜日の自分から

やっかみが入りかねないことです。

 

その対策としては、がんばった曜日の自分にはご褒美を用意しておくこと。

「仕事ちょっと多めに前倒しでがんばったから、

低糖質プリン食べさせてあげよう」とか

「お疲れだから今日のバスソルトは贅沢にローズにしてあげよう」だとか。

 

そうすると、日曜の私も羨ましがって、もしかしたらプリン食べたさに

溜まりに溜まっている陶芸の絵付けとか、やる気になってくれるかもしれません。

 

やらかし防止のために脳の至適な回転速度を保つ

ここのところ、ちょっとした「やらかし」が増えていました。

発達障害者にはお馴染みのアレです。

 

以前に書きましたが、そもそも私は知能検査でも特に

ワーキングメモリが弱いというほどの結果は出ていなくて、

普段はそれほど「やらかす」わけではないのです。

逆に、自閉圏の人間には珍しく、長期記憶の方が問題がありそうだということが

MRI所見でわかりました。

それでも忙しいときにはそうしたことが起こって、

食事の支度のときにレンジを開けたら

前の食事の時に食べるはずだったおかずが入っていたとか

(どうりで何か物足りないような気がしていた)、

ときにはそれが、眼を温めるために使うはずだったタオルだったりとかします

(たったの1分の間にも忘れちゃうことがあるのよね)。

 

この辺はまあ、他人に迷惑をかけるものではなく、

自分でも大して困るようなことでもないので気にしないとして

(私は情緒が安定していれば基本的に楽観的)、

数年に一度、大きなやらかしをすることがあります。

 

大切な約束を一日間違えてしっかりスケジュール表に書き込んでいたり、

電車の中で読書に集中しすぎて、

上野から宇都宮行きの電車に乗ったはずが、

どういうわけか気がつけば高崎の一歩手前、

外房線に乗るはずが、ふと顔を上げたらなぜか内房線の姉ヶ崎、

なんてこともありました(しかも、人と待ち合わせしていた…)。

 

そうしたことはこの頃はそういえばなくなったなあ、なんて思っていたら、

数日前にまた夕飯の時に昼ご飯に食べるはずだったおかずをレンジの中に発見し、

先日は出掛けたときに、地下鉄直通の電車に乗ったはずが

気がついたら直通ではなく終点まで行ってしまい、

慌てて長距離を歩いて乗り換えるはめに。

まあ、結局到着時間は変わらなかったので遅刻はしませんでしたが。

かと思えば、今受けている講座の授業のときに参考図書を持っていくのを忘れたり

(閲覧用のを借りられたので助かったけど)。

 

なんだ、これは?大きなやらかしの前兆か?と思い、

最近はあまり忙しくないので疲れているわけでもなく、

低血糖でもないし、寝不足でもないし、精神状態が悪いわけでもない、

なのに、なんでこんなことが起きるんだ?と考えていたら、理由がわかりました。

 

脳にとってはヒマすぎたのです。

どうやら私の脳は、忙しすぎるときとヒマすぎるときに「やらかす」ようです。

 

ここのところ、納期がタイトな仕事が少なく、余裕がありました。

余裕があると言っても、やりたいことややるべき勉強は山のようにあるので

ゴロゴロすることは決してなく、何かしらやっているのですが、

特に締め切りがあるわけでもないので、どこかのんびり、マイペースモードでした。

それできっと脳がサボり始めていたんじゃないかと思います。

 

「急ぎの仕事は忙しい人に頼め」という言葉をどこかで聞いたことがありますが、

これも要は、忙しい人は脳の回転速度が上がっているから

処理が早いということですよね。

私も忙しくて、これ以上無理!っと思うようなときでも、

急ぎの仕事を頼まれて引き受けるとあっさり片付いちゃうなんてことがよくあります。

 

考えてみれば、てきぱき動いて掃除をしている最中に

隣りの部屋に行ってあれを取ってこようと思ってもすぐに動けますが、

寝っ転がっているときに隣りの部屋に行こうと思ってもめんどくさくて仕方ない。

それと同じです。

 

身体も普段から運動していないといきなり運動しようと思ってもできないように、

脳も普段からある程度動かしておかないと、動いてくれないってことでしょうね。

そして、その適切な回転速度は人によっても、時によっても違うのだと思います。

 

私は子どもの頃から、授業というものが聞いていられなくて、

知らないうちに連想ゲームが始まっていたり、

退屈すると教科書の「田」とか「日」とかの文字の四角い部分を

鉛筆で塗りつぶして遊んだりしていました。

高校の時も、進学校だったので周りは皆、予備校に通っていたのに、

一人だけ家でひたすらドリルをやって勉強していました。

聞いていられないという自覚があったわけではないのですが

自ら向いている方を選んだようです。

 

けれども、ここ数年、久々に勉強というものを始めて、

いろんな講座やセミナーに通うようになりましたが、

不思議とちゃんと聞けているんですよね。

ただ、気づいたのは、のんびり話す講師の人よりも、

ちょっと早くてしっかり聞いていないとついていけないくらいの人の方が

内容が頭に入るんです。

診断のときに、脳波所見からADDは否定されましたが、

ADDだと早すぎるとついていけなくてボーっとしちゃうのかもしれませんね。

私はどっちかというとADHD寄りなんでしょう。

 

そういえば、たまに放送大学を観るのですが、

講師の人がしゃべりが遅くて「あー」とか「うー」とかが多いと、

その隙に連想ゲームが始まってしまうので、

1.2倍で聞くようにしたら聞いていられるようになったことがありました。

 

どうも私には、ちょっと早いな、ちょっと忙しいな、くらいのペースが

脳をサボらせないためにはよいようです。

ストレッチと同じように、ちょっとキツイな、くらいで

無理ない程度にがんばるとキャパも広がるのかなと

 

広がったキャパに合わせて、脳の至適な回転速度も更新して

自覚しないといけないですね。

朝から涙が出るときは

そろそろ梅雨入りかな、というような天気が多くなってきましたね。

 

こんな鬱蒼とした天気のように、朝から気分が重く、

なぜだか涙ばかり出るということが以前はよくありました。

過去のいろんなことを思い出してあとからあとから涙が出てくる。

手に入らなかったもの、失った人間関係、もう二度と会えなくなった大好きな人。

「ない」ものばかりが次から次へと浮かんできてはさめざめと泣いていました。

 

ところが、あるとき気づいたんです。

朝食を摂るとそれがピタリと止まるってことに。

何てことはない、単なる低血糖症状だったのです。

 

糖質制限を始めてからもそうしたことはときどきありましたが、

夜間低血糖の問題に気づいて対処するようになってからは

朝から泣くようなことはなくなりました。

 

今では朝だけに限らず、情緒が不安定になってきたことに気づいたら、

まず低血糖に陥っていないかをチェックします。

最後にものを食べたのはいつだったか、どんなものを食べたか。

カフェインの取りすぎでアドレナリン過剰になっていなかったか。

 

その知識がなかった頃は、情緒不安定になりかかると、

瞑想で解決しようとしていました。

呼吸や身体の観察をすることで自分自身を落ち着かせようとしていたのです。

確かに、それはある程度の効果はありますが、

低血糖症になっているのであれば、低血糖を解決することが優先です。

私は適切な解決策を取らずに、単に低血糖の症状を延々と観察していたのです。

考えてみればそれは、心臓の病気で発作が起きているのに

何もせずにただ身体の状態を観察しているようなものでした。

 

低血糖症というのはまだまだ医師でも知らないことが多いですが、

自分で情緒不安定だと思う人は、ぜひ知っていただきたいと思います。

私は低血糖症についてもっと早くに知っていたら

人生どんなに違っていたことかと心の底から思います。

私はオーソモレキュラークリニックの回し者でもなんでもなく、

ただ自分の経験から本当にそう感じています。

 

これまでにも何冊か紹介しましたが、まだ数は少ないものの、

低血糖症の本は数冊出ています。

糖尿病やダイエット向けの糖質制限本とは違って、

どれも極端な糖質制限は奨めておらず、栄養に関しても書かれています。

気持ちが落ち着いていて頭が働くときに、ぜひ少しずつでも読んでみてください。

 

糖質革命~がん、高血圧、糖尿病、うつ、花粉症、メタボ…現代病の原因は「低血糖症」にあった

糖質革命~がん、高血圧、糖尿病、うつ、花粉症、メタボ…現代病の原因は「低血糖症」にあった

 

なぜあなたは食べすぎてしまうのか―低血糖症という病

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疲労も肥満も「隠れ低血糖」が原因だった! (「肉から食べる」と超健康になる)

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低血糖症と精神疾患治療の手引―心身を損なう血糖やホルモンの異常等の栄養医学的治療 (第5版)

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 こちらもよろしく。

ガイド 壮年期のアスペルガー症候群:大人になってからの診断は人生をどう変えるか

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こんなのもやってます。

 

女性のホルモンバランスを整えるハーブ

前々回の記事では情緒不安定とPMSの関連について書きましたが、

PMSの症状を乗り越えるにはハーブも役立ちます。

 

ハーブティーとして手に入りやすいものでは、

ジャーマンカモミールには鎮静・鎮痙作用があるので、

不安や痛みを和らげるようです(ただし、子宮内膜症子宮筋腫による

激しい生理痛にはあまり効かないかと思います)。

 

ラズベリーリーフは子宮や骨盤の周囲の筋肉の緊張を和らげてくれます。

また、「安産のためのお茶」と言われていて、出産準備にもいいようですよ。

 

チェストベリーはホルモン分泌を調整してくれます。

PMSに効果があることも臨床試験で明らかになっています。

その他にも、更年期障害子宮筋腫子宮内膜症にも適応とされ、

母乳の分泌を促す目的でも用いられます。

下垂体の働きは朝の方が活発なので、朝飲むのがよいそうです。

 

チェストベリーの乾燥エキスを使用した「プレフェミン」という

市販薬もあります。

薬剤師さんのいる薬局で処方箋なしで買えるので、

PMSの症状でつらい方は一度相談してみるといいかもしれません。

 

どれも飲んですぐに楽になるというものではないので、

ある程度飲み続けることが必要ですし、

何らかの薬物療法を受けている場合は摂取には注意が必要です。

また、前回書いたように、日頃の食生活を正すことなく

ハーブだけを飲んでも症状緩和にはつながりにくいかと思うので、

生活全体をトータルに見直してくださいね。

 

 

追記:チェストベリーはドーパミン受容体に働きかけると考えられているため、

ドーパミン作動薬やドーパミン拮抗薬を服用している場合は、

薬の作用に影響するので摂取は避けた方がよいようです。

以下をご参照ください。

チェストベリー | 海外の情報 | 医療関係者の方へ | 「統合医療」情報発信サイト 厚生労働省 「統合医療」に係る情報発信等推進事業

 

asagimanaad.com

PMSと低血糖症の関連

前回の記事ではPMS月経前症候群)について書きましたが、

PMS低血糖症が関連するという見方もあるようです。

なぜあなたは食べすぎてしまうのか―低血糖症という病

なぜあなたは食べすぎてしまうのか―低血糖症という病

 

 この本では低血糖症の発症機序について素人にもわかりやすく書かれています。

著者が女性なためか、ほかの関連書より女性の症例が多く取り上げられている

ように思います。

 

本書によると、PMSでは

「栄養失調や血糖調節の異常などの原因によって、ホメオスターシス、いいかえれば

「体内環境」が乱れているところに、排卵のある女性なら誰でも起こりうるホルモンの

変動が「ダメ押し」することで、症状が出現するかどうかのギリギリのラインを

オーバーしてしまい、症状があらわれる(『なぜあなたは食べ過ぎてしまうのか』より引用)」そうです。

 

実際に本当に低血糖症かどうかは5時間糖負荷検査を受けないとわかりませんが、

「栄養不足」や「糖質の取りすぎ」が身体によくないことはあきらかです。

 

身体によくないことはわかっていても、やめられないのよね、

と思うかもしれませんが、なぜよくないのか、

栄養不足や糖質の取りすぎたときに身体で何が起こるのかが理解できれば

フィーリングで食べてしまうということがやめられることがあります。

アスペは特に、理屈で納得できると実行できることがあります。

 

この本は極端な糖質制限は奨励していませんし、

巻末にはレシピも載っているので実践の参考にしやすいかと思います。

PMSの原因はもちろんこれだけではありませんが

(この本にはほかにもいろいろ載っています)、

つらさを嘆いているだけではなく、自分なりに勉強して実践することで

改善につながることもありますよ。